耳ラジブログ

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円滑な人間関係なんて幻影でしかない

 

 私たちは常に人肌に飢えている。砂漠の真っ只中でカラカラの喉を潤してくれるオアシスの如く他者を感じることがある。しかしそれは時に透明な真水から塩辛く命を縮める塩水に変わる。円滑な人間関係を築くこと、それがうまくいかず悩むこと、仲の良い他者に至上の人間関係を投影すること。これらすべては幻想であるという皮肉を皮肉で煮詰めたような捻り狂った考え方を今回は説きたいと思います。

 

 人と人とのつながりが基盤だった時代はすでにノスタルジックな幻想と化し、無人化、機械化、自動化が加速する現代を私たちは生きています。

 知らない街へ行く時、今のようにナビゲーションアプリ、スマホなんてものがなかった頃は交番や現地の人に道を尋ねることが普通でした。その頃は私たちは他者の協力なしに生活することが困難であったし、その協力に見返りとして報酬を支払うなんてこともありませんでした。

 しかしながら現在はあらゆるものが商品となっています。道案内のアプリだけでなく、人生相談、学習指導などボランティアとも名がつかないほど当たり前に行われていたことが、今や市場化されています。この時代に慈善や所有物、知識といったあらゆる要素が市場の一部と化して商品として扱われています。レンタル彼氏、レンタル彼女といった仕事は特に分かりやすい例で、他者との繋がりさえも商品化されているのが現代の市場経済です。

  

・私の考え

 語弊を恐れずに皮肉な描き方をしましたが、私自身はこの市場経済の便利さに畏敬の念すら抱いています。決して革新的な思想を持っているとかそういうわけではありません。ですがその反面私たち一人一人が他者とのつながりを実感し、安堵感を得ることを渇望しているのは疑いのないことだと思っています。それは社会の中で生きてきた人間は、いつの時代もポリス的動物であり、他者との協力や関係を通して安心や自己肯定感を得られるという証左でないかと思います。

 

 ではその人間関係とはどんなものか。筆者が思うに人間関係とは家の壁や家電、本、自動車、高層ビル、聳え立つ山々のように確固として存在している物質世界とは一線を画する存在なのです。

 これらと人間関係の違いとは、掌にダイヤがあると人類全てが想像したとしてもダイヤは生成されませんが、そこに信頼関係があると信じ込めば確かに揺るぎない繋がりを感じることができます。

 

 だからこそ人間関係はわかりづらい。どうやったら円滑な人間関係を作れるのか。そもそも自分が円滑でないと思っているだけで相手はいい関係だと感じてはいないだろうか。そんな疑問は誰もが感じたことがあるはずです。

 自分でもこれが詭弁であることはわかっていますが、悩める人に一つの考え方を呈させていただきます。

 

 人間関係は幻想である。自分が嫌いだと思う相手でも、彼が自分を認識していれば、相互にその存在を認めていることになる。これが人間関係。そこにいると互いに認めることで関係が始まる。それは毎日同じバスに乗る知らない人かも知れないし、学生時代の友人かも知れない。そして会う回数。会話が盛り上がったかどうか。そんな尺度が人間関係を正確に映し出せるのだろうか。

 

 私は人間関係に悩むことは自分や周囲のことに強い関心がある証拠だと思う。だけれどそれは自分や他人を動揺させ、悩ませる原因にもなりうる。だからこそこんな人間関係など幻影だと認めなければならない。たわいもない世間話や助け合いに円滑な人間関係を感じるのはやめよう。そんなノスタルジアは捨ててしまおう。

 

 こうしてあなたが私のブログを読んでいること、YouTubeで動画を見ること、知らない人と街ですれ違うこと。それら全てを良しと認めよう。それら全てが幻影であるが、自分だけでなく全てが個としての存在なのだと認識することが、人との関係を一歩引いて俯瞰するコツなのではないかと思います。

 

(※筆者の心の叫びです…一意見としてお聞きください)