イギリスの大宰相グラッドストンの半生 (第一話)青年期のノブレス・オブリージュ
イギリスの歴代首相の中でも知名度が高いウィリアム・グラッドストン。彼は19世紀後半に英国首相を4度も務め、最盛期のヴィクトリア朝イギリスを率いた大宰相です。
当時イングランドの支配下であったアイルランド。この支配体制を矢継ぎ早に改革していったのが、このウィリアム・グラッドストンです。最盛期であった19世期イギリス帝国を経営した彼の人生を今回は垣間見ていきたいと思います。
・ノブレス・オブリージュ(高貴なる者の責任)
グラッドストンは1809年12月29日リヴァプールで生まれた。父は大富豪のジョン・グラッドストンというスコットランドの豪族でした。グラッドストン家はもともとグラッドステンスという家名で、その名は13世期末の公文書にまで遡って見ることができる名家だったそうです。
幼少期のウィリアム・グラッドストンは家風である自由主義、合理主義、経験主義といった影響を受けたため、自由な討論などを積極的に行う少年へと育ちました。
11歳の時には名門パブリックスクールであるイートン校に入学し、政治家となる素質をここで養います。ちなみに彼はイートン校時代を「人生で最も幸福」と表現しています。
イートン校は風紀などに厳しいことで有名ですが、彼は問題など特に起こさず、読書などに世を出したそうです。彼が愛した作品は政治家の伝記や自伝を始め、ヒュームの哲学、ジョン・ロックの哲学などで、この頃から政治に関心があったようです。
彼はイートン校の弁論会において、「上流階級は、下層階級が同胞に対して善良に振る舞うように善道しなければならない。そうすれば下層民はいかなる口実を設けても義務に違反できなくなるだろう。職人の勤勉と才能を眠らせ、彼らの精神が抑圧されたままにしておくことは同義的にも政治的にも正しいことではない」と演説しています。当時15歳のグラッドストンはノブレス・オブリージュ(高貴なる者の責任)の思想を既に持っていました。ノブレス・オブリージュは英国の支配階層であったジェントルマン等が財産や権力、社会的地位を保持するということは社会貢献しなければならないという考え方で、権利には義務が伴うという思想を指しています。
(イートン校)
・オックスフォードでの栄光と挫折
イートン校を卒業しグラッドストンはオックスフォード大学へと進学します。彼は大学生活を通してアリストテレスやプラトンといったギリシャ哲学の古典研究に没頭したそうです。イートン校を卒業する頃にはすでに政治家になるという夢があったので、政治や支配といった物事の本質を考えていたのではないでしょうか。
1831年、グラッドストンは念願であった政治家への第一歩を踏み出します。父親の影響力の強い選挙区から保守的な意見を大々的に謳い出馬したのです。しかし選挙法改正が争点であった当時の選挙で、選挙権を青年男子の15%にまで広げることに反対した彼は、落選してしまいます。選挙期間中には泥を投げつけられるなどしたそうですが、彼は根気強く自らの主張を貫き通しました。
グラッドストンの選挙権を拡大することへ反対する考え方は、ノブレス・オブレージュに影響を受けています。彼は高い教養を持った貴族や上流階級に政治を任せなければ愚衆政治になって社会が混乱すると考えていました。
このように挫折を味わう反面、選挙期間中も勉学を怠らなかったグラッドストンはオックスフォード大学を1832年に卒業しました。卒業試験の科目は数学と古典でしたがどちらも主席だったそうです。こうしてグラッドストンは青年期を終え、激動の政治家人生へと旅立って行きます。
第二話へ続く。