耳ラジブログ

お耳に優しいラジオのたいちのブログです!

イギリスの大宰相グラッドストンの半生(第三話)繁栄のイギリスを支えた男

下院議員になったウィリアム・グラッドストン1840年台後半に起きたアイルランド飢饉(ジャガイモ飢饉)を受けて、穀物法の改正を考えるようになります。穀物法とは穀物の価格を高値に維持するための法律で、地主階級の利益を保護するものでした。

 

当時首相だったピールのもとで植民地大臣を務めていたグラッドストンは、穀物法廃止を試みたため大きな反発を受け下野したピールに続いて、グラッドストンも保守党を離党します。ラッセル卿が首相になりますが、この間グラッドストンは主要な役職につけず、部分的中絶期と自ら称して政策に熟考する時期となりました。

 

その後グラッドストンは保守党に戻ることなく、自由党員として自由貿易や小英国主義などの主張を展開していくようになります。この際にグラッドストンのライバルとして立ちはだかったのが保守党のディズレーリです。

 

ディズレーリはグラッドストン穀物法に反対し、下野したときに首相であったピールを攻撃し倒閣に追い込んだ張本人と言われています。そのためダービー内閣の大蔵大臣として入閣していたディズレーリの予算案を否決に追い込むことは、ピール派にとって弔い合戦であったのです。

 

激しく議会で争ったグラッドストンとディズレーリはこの時代を代表するイギリスの政治家となります。

 

1959年になるとグラッドストンパーマストン内閣の大蔵大臣に入閣を果たします。この時イタリアでは統一戦争が勃発しており、教皇領を除く全てのイタリアがイタリア王国として統一されました。グラッドストンは完全に自由主義者となっており、このイタリア統一をイギリスのような立憲国家が誕生したと喜んだそうです。

 

また紙税の廃止にも貢献をしたと言われています。当時紙に税金をかけることで危険な思想の拡散を防ぐと保守党は主張していましたが、自由党グラッドストンは大衆の教育という意味では紙税は撤廃されるべきだと唱えました。ちょうどこの時代参政権の拡大に伴い市民にまで政治への参加が広がっていたこともあり、グラッドストンは新聞や雑誌といった書物を低価格にすることで、市民の教育水準をあげるべきだと考えたのです。ある意味でイギリスが民主的な国家として現在に至るまで安定してきたのも、グラッドストンが市民教育という観点から市税を廃止したからかもしれません。

 

その後もグラッドストンは首相を何度も経験し、アイルランド国教会の廃止、アイルランドの小作農への補償問題への対応などに力を入れ、自身の政治人生を華々しく出発させて行きます。国際情勢は刻一刻と変化を遂げる19世期末にイギリスを内側から改革して行ったグラッドストンは現在でもイギリス国民から人気の高い首相です。この後もグラッドストンは外交やアイルランド問題などで活発に活動を続けていきますが、グラッドストン特集はここで終了します。グラッドストンという人物に興味を持っていただけたら、ぜひ本や映画などで彼の勇姿をご覧になってみてください。