耳ラジブログ

お耳に優しいラジオのたいちのブログです!

あけましておめでとうございます!今年の抱負は言わないからね!?

あけましておめでとうございます!

お耳に優しいラジオのたいちです!

 

皆さんは自粛を強いられる状況の中でどのようにお正月を過ごされたでしょうか。帰省できず寂しいお正月だった方や、初詣などの行事に参加できなかった方など多くいらっしゃったかと思います。

 

暗い世の中になってしまいましたが、今回は2021年の抱負を…

発表しません!

 

なぜかって?

 

僕のポリシーなんですが、将来の目標とか夢とかを語るとそれ自体に満足してしまって実際に行動することができなくなってしまうからです。※あくまでも個人の見解です。

 

こうなるんだ!とか意気込んでも想像を膨らませるうちに先入観とか諦めみたいなものが自分の中で出来上がってしまって、その目標を叶えるための冷静なステップを踏めないことがよくありました。だから今年の抱負なんてものは言わないのですっ!

 

私のポリシーなのであまり気にしないでください、でも意外と同じことが世の中には起こっているのではないかと思います。神社にお祈りに行く時も口には出さないようにとよく言われますよね。もしかしたら昔からそういう知恵があるのかもしれないと思ったりする今日この頃でした。

 

どちらにしてもラジオやブログ、YouTubeなど続けていきますので応援よろしくお願いします。目標はチャンネル登録者1000人かな!!

口滑らせてしまった…

俺のラジオ!?ラジオは言葉の代わり!

スタンドFMやYouTubeなどでラジオ配信をし始めて半年近く経過しました。こうしてラジオをやっていると様々なことに気づきます。

まず自分が喋るのが苦手だったこと。

よく喋る方だと思われがちですが、小中高と比較的無口?寡黙?なタイプでした。今思うと当時の友人からしたら意外なことやっているなと驚かれる気がします。

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アウトプットとして経験値が上がる!!

おしゃべりの技術もそうですが、様々な知識を提供することがラジオの特典でもあるので、いろいろな情報を手に入れるために調べ物などが増えました。それもあってか自分が詳しく知らなかったことを知れるだけでなく、自分が知っている物事もさらに深く理解ができるようになりました。

 

ちなみになんでラジオを始めたのかというと、友人でありもう一人のパーソナリティのみずきと編集マンteruとのコミュニケーションの一環というのが本音です。

自分自身コミュニケーション能力がもともと低いほうでした(笑)だからこそ何かに打ち込んでいることが言葉の代わりとなって友人とのコミュニケーションになると考えています。何かを始めたり打ち込むことから逃れられない人生をこれからも送っていきそうな気がしています…

 

これからもお耳に優しいラジオをぜひお聞きになってください!

イギリスの大宰相グラッドストンの半生(第三話)繁栄のイギリスを支えた男

下院議員になったウィリアム・グラッドストン1840年台後半に起きたアイルランド飢饉(ジャガイモ飢饉)を受けて、穀物法の改正を考えるようになります。穀物法とは穀物の価格を高値に維持するための法律で、地主階級の利益を保護するものでした。

 

当時首相だったピールのもとで植民地大臣を務めていたグラッドストンは、穀物法廃止を試みたため大きな反発を受け下野したピールに続いて、グラッドストンも保守党を離党します。ラッセル卿が首相になりますが、この間グラッドストンは主要な役職につけず、部分的中絶期と自ら称して政策に熟考する時期となりました。

 

その後グラッドストンは保守党に戻ることなく、自由党員として自由貿易や小英国主義などの主張を展開していくようになります。この際にグラッドストンのライバルとして立ちはだかったのが保守党のディズレーリです。

 

ディズレーリはグラッドストン穀物法に反対し、下野したときに首相であったピールを攻撃し倒閣に追い込んだ張本人と言われています。そのためダービー内閣の大蔵大臣として入閣していたディズレーリの予算案を否決に追い込むことは、ピール派にとって弔い合戦であったのです。

 

激しく議会で争ったグラッドストンとディズレーリはこの時代を代表するイギリスの政治家となります。

 

1959年になるとグラッドストンパーマストン内閣の大蔵大臣に入閣を果たします。この時イタリアでは統一戦争が勃発しており、教皇領を除く全てのイタリアがイタリア王国として統一されました。グラッドストンは完全に自由主義者となっており、このイタリア統一をイギリスのような立憲国家が誕生したと喜んだそうです。

 

また紙税の廃止にも貢献をしたと言われています。当時紙に税金をかけることで危険な思想の拡散を防ぐと保守党は主張していましたが、自由党グラッドストンは大衆の教育という意味では紙税は撤廃されるべきだと唱えました。ちょうどこの時代参政権の拡大に伴い市民にまで政治への参加が広がっていたこともあり、グラッドストンは新聞や雑誌といった書物を低価格にすることで、市民の教育水準をあげるべきだと考えたのです。ある意味でイギリスが民主的な国家として現在に至るまで安定してきたのも、グラッドストンが市民教育という観点から市税を廃止したからかもしれません。

 

その後もグラッドストンは首相を何度も経験し、アイルランド国教会の廃止、アイルランドの小作農への補償問題への対応などに力を入れ、自身の政治人生を華々しく出発させて行きます。国際情勢は刻一刻と変化を遂げる19世期末にイギリスを内側から改革して行ったグラッドストンは現在でもイギリス国民から人気の高い首相です。この後もグラッドストンは外交やアイルランド問題などで活発に活動を続けていきますが、グラッドストン特集はここで終了します。グラッドストンという人物に興味を持っていただけたら、ぜひ本や映画などで彼の勇姿をご覧になってみてください。

 

 

読書は心のバロメーター理論!!

頭の準備体操!?

 

皆さんは普段読書をするでしょうか?

小説、漫画、雑誌、新聞など様々な媒体がありますが、活字を読むということはとても素晴らしいことだと思います。理由は多岐に及ぶのですが、今回は読書がもたらす心理的効果を自らの体験談とともにご紹介します。

 

私お耳に優しいラジオのたいちが高校三年生だった頃、シャーロック・ホームズシリーズにどハマりしていた時期がありました。通学に一時間以上かかる高校に通っていたこともあり、バスや電車を乗り継ぐ毎日でした。

 

その時間を有効に使おうと始めたのが読書でした。眠い日も目を擦りながら毎日毎日読書をしていくようにしたのですが、案外これが毎朝のルーティンワークとなって頭の程よい体操になっていることに気づきました。

 

よく体の準備体操なんかを運動の前や1日の初めに行うことがありますが、脳の準備体操はなかなか聞きませんよね。自分の中では授業を受ける前に頭を活性化させるための準備体操として読書を位置付けていました。

 

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ピブリオセラピー(読書療法)

科学的にはピブリオセラピーと言って、読書が心理的な安定に寄与するという結果が出ているそうです。そう言った意味では何か焦ることがあるときや、不安があるとき、浮き足立っているときなどに読書をすることで、自らのベストな心理状態(前向き、冷静)に変えることができるのではないでしょうか。

 

また読書が進まないときや本の内容が入ってこない時などは自分自身の状態が通常でないことを示していると捉えることもできます。自身の調子が良ければ集中して本がスラスラと読めるのであれば、何かが集中力を阻害しているということになります。つまり読書は心のバロメーターであると私は思います。

 

ぜひ皆さんも読書を習慣化されてみてはいかがでしょうか。

私自身小説を書かせていただいているので、無料で読めますからぜひご閲覧ください!

「煌めく見た夕日を忘れない」凛堂太一著

https://ncode.syosetu.com/n0019gq/

 

EU離脱によって解き放たれる新生ドイツ!?

1973年イギリスは念願とも言えたECへの加盟を果たします。イギリスのヨーロッパ統合のターニングポイントともいえるこの出来事から50年弱、世界初の超国家組織という実験に人々は息を飲んで見守ってきました。

 

2016年イギリスは国民投票の結果を受けてEU(元々はEC)からの離脱を表明、離脱期間を経て来年からイギリスはEUから完全に離脱します。現在EUとイギリスの間では離脱後の関税や企業への補助金などのルールをめぐって交渉が紛糾していますが、歴史的に見た時にEUにはどのような役割が与えられていたのかを今回は考えていきたいと思います。

 

ドイツ二重封じ込め

1945年第二次世界大戦終結すると、ヨーロッパではドイツの戦後処理が問題となりました。ドイツの東側を占領したソ連、西側を占領した米英仏との間ではイデオロギー(資本主義・共産主義)の違いや戦後ヨーロッパの勢力圏をめぐって紛争が生じます。

米ソ冷戦の起源はこのようにドイツの戦後処理を発端に始まったと言われています。

 

西ドイツと東ドイツというように分断国家となってしまったドイツは、西をアメリカを中心とする資本主義諸国に東をソ連が中心となっている共産主義諸国の陣営へと取り込まれます。ドイツはアメリカにとって二度も世界大戦で対峙した国家ですから、ナチズム(ファシズム)といった過激な思想を抑え込まなければなりません。

 

ドイツに加えて朝鮮戦争などで世界化、軍事化した米ソ冷戦のライバルであるソ連を封じ込める必要があったアメリカは、NATOといった枠組みを使ってドイツを同盟の内側に封じ込め、ソ連を外側に封じ込めるという二重の封じ込め政策を取りました。

 

EUの役割

ヨーロッパの中央にあって周辺に多くの国との国境を持っているのがドイツです。

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ドイツはこのような地政学的な立地と人口の割に少ない耕地面積などを考えると、本来軍事的な力を強める傾向にあります。その軍事化されたドイツは二度の世界大戦でとてつもない軍事力、技術力などを見せつけました。

こうしたドイツの脅威を封じ込めるためには、ドイツを戦前の世界大恐慌後の経済的混乱で生じたような経済的孤立を防止しなければなりません。その手段としてEUはドイツをラディカルな思想から遠ざけるための安全弁だと捉えられます。

 

こうした観点からEUという試みはドイツの安定とヨーロッパ国際秩序の安定という面で継続されるべきだと見ることができるのできるのです。イギリスのEU離脱を様々な観点で捉えることが可能ですが、今回はドイツの封じ込めという視点からEUを語りました。

心に余裕がある生き方って憧れる

親切丁寧な対応の大人ってすごく憧れますよね。それに加えて清潔感、優しさ、気さくな対応なども憧れる大人の資質かと思います。

 

唐突になぜこんな話をしたかというと先日、卓球の試合に出た時に、30代の男性と試合をしました。その方がなんとも感じのいい方だったので、「あぁ、こんな大人になりたいなぁ…」なんて惚れ惚れするような神対応を連発していたのです!

 

皆さんはどんな大人になりたいですか、少し悪そうな?ちょいワル親父が流行る時期もありましたよね。もしかすると世代や出身なんかでも理想像は違うのかもしれません。人生設計で仕事や家庭について考えるのもいいですが、時間のある時に自分像を描いてみるのも良いと思う今日この頃でした!

 

イギリスの大宰相グラッドストンの半生 (第二話) 自由主義者としての出発点

・政治人生の始まり

グラッドストンはオックスフォードの学友であるリンカン伯爵の父、ニューカッスル公爵の支援を受けてニューアークという選挙区から出馬することになりました。ニューカッスル公爵は保守的な信念を強く持っている人物だったので、グラッドストンは自らの信念を変えさせられるのではないかと不安に感じました。父や学友のリンカン伯爵と相談を重ね、また父が選挙費用の半分を負担するということもあり、トーリー党(保守党)からグラッドストンは政治人生を歩み始めることになります。

 

ニューアーク選挙区ではグラッドストンを含めて三人の候補者がいましたが、最多得票によってグラッドストン1832年に下院議員となりました。

 

議会での処女演説では黒人奴隷の解放について言及します。グラッドストンの父が海外植民地で黒人奴隷を使用していたことから、彼は選挙活動中も含めて差別主義者と批判を受けたが、彼は「漸進的奴隷解放」を唱えることで反論した。漸進的解放とは植民地の奴隷を即刻解放することは暴動や白人への攻撃を誘発するとして、キリスト教の精神を養わせたのちに徐々に解放を進めるという考え方です。

 

グラッドストンはピール内閣で植民地大臣や陸軍大臣などを歴任し保守党内で実績を築いていきます。しかしピールが提出した穀物法という法律を巡って保守党は分断していきます。

 

グラッドストンはピール派として分裂した保守党内で重要な役割を演じますが、自由党ラッセル卿内閣が成立し結果的に下野します。グラッドストンはこの時期を政治的に中断された期間と表現している一方で、自由主義へと思想を傾斜させていきます。

 

1830年台のグラッドストン

自由主義者グラッドストンの誕生

 

グラッドストンはイギリス国王を頂点とする英国国教会についての考え方を変化させます。英国国教会ローマ・カトリック教会やそのほかのプロテスタントを差別することで英国内で特権を享受してきました。しかしその結果、国教会は腐敗や内部分裂といった形で弱体化を繰り返していく一方だったのです。

グラッドストンユダヤ教カトリックへの差別を撤廃することで宗教間の自由競争を促し、国教会を健全化しようと考えます。具体的には信教の自由の観点からユダヤ教を議会入りさせることを禁止する法律に反対します。

 

イギリスが世界中に抱える植民地への見方もグラッドストンの中で変化が生じます。植民地を強硬に支配することに反対し、植民地の自治を推進することで本国からの出費を削減しようという考えを持つようになるのです。このように大英帝国を緩やかな繋がりへと変える動きを小英国主義と言います。